由緒・歴史・東郷平八郎について

 

御祭神 東郷平八郎命
(1847~1934)
 
元帥海軍大将従一位
 
大勲位功一級侯爵

 御祭神の東郷平八郎命は、弘化4年(1847)12月22日薩摩藩士東郷吉左衛門の4男として鹿児島市加治屋町でご誕生、昭和9年(1934)5月30日午前7時、88歳で東京都麹町三番町で薨去されました。

 

 御祭神は、幕末19歳で薩摩藩の海軍に入り明治維新前後の海戦に従事、明治4年(1871)24歳の時にイギリスに留学してウースター号等で7年間厳しい訓練に耐え、船乗りとしての知識と技術を修め、海軍魂を培って帰国し立派な日本海軍士官となりました。

 

 以来戦略や国際法の勉強にも励まれ、巡洋艦浪速の艦長としてハワイがアメリカ合衆国に併合された際(1893)や日清戦争中(1894~1895)の難しい国際問題等を処理し東郷の名は世界的に有名になりました。

 

 さらに、日露戦争(1904~1905)では聯合艦隊司令長官として三笠艦上に「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」とのZ旗を掲げ、露国のバルチック艦隊を日本海において撃滅して世界の海戦史上空前絶後の完全な勝利を成し遂げられました。

 

 この大勝は、わが国を国難から救っただけではなく、当時ロシア等大国の植民地政策の圧力下にあった国々に、大きな喜びと希望を与えました。

 

 大正の始めに元帥府に列せられ、大正3年(1914)から7年間東宮御学問所総裁として昭和天皇の御教育の大役を果たし、明治、大正、昭和の三朝に至誠一貫奉仕、国家の重鎮、まごころの人として、日本だけでなく世界の人々からも英雄「大東郷」と尊敬されるようになりました。

 

 昭和9年日本の偉大な世界的英雄が天寿を全うされるや「至誠(まごころ)は神に通じる」とその一生を貫かれた御徳を長く後世に伝えて顕彰するため、神社にお祀りしてほしいとの要望と献金が全国各地から海軍省に届き、この熱意に応えて時の大角海軍大臣は各界の識者にはかり、財団法人東郷元帥記念会を設立、全国民に呼びかけて国民からの浄財によって神社を創建することになりました。

 

 御鎮座地は、明治神宮に近い元鳥取藩主池田侯爵邸を選び、昭和12年9月に地鎮祭、同15年5月27日(日本海海戦で完勝した日・当時海軍記念日)に御鎮座祭が行なわれ、欅と檜素木、神明造檜皮葺の東郷神社が完成しました。

 

 しかし、東郷神社は昭和19年11月27日と同20年5月25日に米機の爆撃を受け、第二回目の被爆で社殿が焼失しました。現在の社殿が完成したのは昭和39年5月で、神明造りを基調とした近代設計、鉄筋コンクリート平屋建てです。

 

 東郷神社では、御祭神が日露戦争を勝利に導くことによって日本を救った歴史を伝えるとともに、常に現代、現世の人々の安寧を願い、数多の御霊をお護りしております。

 

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